大村湾に面した旧下岳浦の入口にある大新田、今も稲作地帯です、右側には以前は島だった前島になります。江戸期の干拓のため今は大明寺(旧喰場)川の河口部にもあたります。
大新田の小島にある市杵島神社、江戸末期の1857年に波佐見の豪農、永冨久平次が竜神を和ませるために創建したようです。現在も下岳神社とともに下岳龍神祭りの舞台になっているようです。ロケーションのとても素敵な神社です。
西彼下岳の小字地名「大新田」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですし干拓前の時代のため伊能大図や測量日記に記載のない地名です、(大村)郷村記下岳村にも大新田の地名の記述はありませんが下岳浦の干拓についての記載はあります。
地名の由来ですが、字の如く大きな埋立により新田が築かれた場所であることが由来です。
上記写真は1975年に撮影された下岳村下岳郷 大新田(西海市西彼町下岳郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。中央付近に前島があります、その前島の左手の大村湾に面した大明寺川沿いが大新田、水田のところは干拓前までは下岳浦だったと推定されます。
今日は西彼下岳にある大新田のおはなしでした。
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