西洋館がある時代の浜口、この時代は電停もバス停も浜口町でしたが現在は残念ながらどちらも原爆資料館前となり浜口の地名が消えとても残念な状態です。できれば浜口町(原爆資料館前)になって欲しいと個人的に思います。
江戸期の浦上新田新田干拓前は長崎港の波打際で浜のあった浜口、ちょうどこの付近から北は緩やかな傾斜があるのでこの付近に波打際の浜があったことが想像されます。
西洋館撤去後の浜口付近、現在の町域と違い小字地名の浜口はこの平の町付近も含まれます。
浦上山里村里郷の小字地名「浜口」の地名について考えたいと思います。
小字地名のため伊能大図や測量日記に記載のない地名です、また長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。
地名の由来ですが字の如く浜の出入り口だったことが由来と考えられます。浦上新田干拓前はこの辺りまで波打際があったことを伺わせる貴重な地名です。
今日は浦上にある浜口のおはなしでした。
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