こちらは楠地の由来である楠地島の現在、島は昭和30年代に大島炭鉱からのボタをトロッコで運ばれ周辺を含め埋立られていますが島の原型は陸上ですがほぼ保たれています。
反対側から見た楠地島、残念ながら閉店してますが昭和の佇まいが残る丸山商店が残っています。炭鉱のある時代はきっと賑わったことでしょう
元楠地島前にあるさいかい交通の東馬込バス停、実は長崎バスとして開業の当初はここが黒瀬方面への終点で楠地バス停だったようです。
内浦との境界付近から楠地、川ではなく一応海です、右側が昔からの海岸線、左側が楠地の埋立地になります。
西彼大島間瀬郷にある小字地名「楠地」の地名について考えたいと思います。
元島ですので伊能大図にも記載があるように見えますが字がつぶれて判読ができません、伊能忠敬測量日記にはクスヂ島は周囲三十間ばかりと記述があります、郷村記黒瀬村にはくすし嶋、周廻壱町拾壱間、大岩石の小嶋、荒磯なりといった記述があります。
地名の由来ですが元島であった楠地島が由来です、楠地ですが楠木の茂った島が由来の可能性が高いと思います、可能性はとても低いですが薬師のような役割を果たす薬草があったことが由来の可能性もゼロではないかもしれません。
上記写真は1975年に撮影された黒瀬村間瀬郷 楠地(西彼大島町間瀬)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。楠地島は文字上の小さな緑、炭鉱のボタで埋立、その後の大島造船所進出で大きく変貌した地域ですが元楠地島は陸上ですが原型を留めています。
今日は西彼大島にある楠地のおはなしでした。
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