
池島の郷地区にある浦東、陸測図を見ると炭鉱開発前の明治期からすでにある池島の傾斜地集落、炭鉱開発後には旅館やスナック、パチンコ店など炭鉱夫の歓楽街として賑わった地域ですが過疎化で静かに眠りにつこうとしています。

多少は住民もいると思いますが残念ながら廃屋が多いのが実情、ことばになりません

浦東の坂からみる外海、元々池島唯一の集落だった郷地区、坂の下には江戸期の小番所跡があります。ちなみに長崎市コミュニティバスが坂下の位置まで乗り入れ「郷東」のバス停名になっています。

下に見える白い看板の家屋は元パチンコ屋さん、過去に思いを馳せながら歩く場所かもしれません

15年ほど前の浦東地区、この時もっと歩いて写真を撮っておきべきだったと後悔しきりです。
外海池島郷の小字地名「浦東」の地名について考えたいと思います。
特に小字地名が多い旧神浦村の小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載のない地名です、また郷村記神浦村にも記載のない地名です。
地名の由来ですが、元々郷地区にあった池島の浦、浦としては外海に面してあまりいい浦ではありませんが、その浦の東側にある位置的要因が地名の由来になったと考えられます。

こちらは炭鉱時代全盛の1975年の池島空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。
郷地区の傾斜地にあるのが浦東、炭坑近くにある歓楽街でした。画像①は未だに現役の池島小中学校、②は池島神社、③は池島の商店街、新店街があった付近になります。
今日は池島の郷地区にある「浦東」のおはなしでした。
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