写真は新田地区にあるさいかい交通遠照院下バス停、瀬戸循環線沿線ですが面高集落への路線バスが廃止された現在では面高口といった場所にあり面高浦奥、面高川河口部にあります。
新田バス停や新田集会所近くに残る石垣、恐らく新田を築く際の井樋または土居跡と思われます。
面高川沿いにある江戸期に干拓された新田、現在は後継者問題か休耕地も見られます。
西海面高郷の小字地名「新田」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載のない地名です、また郷村記面高村には新田土居際や新田井樋の記載があります。
地名の由来ですが文字通り、面高浦最奥部を干拓し新田を切り開いたことが由来になっています。
上記写真は1975年に撮影された面高村本郷 新田(西海町面高郷)周辺の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。面高浦奥部、面高川河口部に干拓された新田があります。
今日は西海面高郷にある小字地名「新田」のおはなしでした。
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