
時津港側より見た神崎浦、現在は埋立られ三菱の工場地帯になっています。ちなみに写真の左端付近(北側)が神崎(西時津郷)で現在も弁財天のある小岬がある地域です。

今は神崎浦(入江)、その後の塩田時代を含め全く面影がない処ですが昭和30年代までは面影が残っていたそうです。佐底郷から始まった時津の塩田ですがこの西時津、浜田郷に面した神崎浦の塩田は大きく塩田に携わる人も多かったようです。
時津の浜田郷にある小字地名「神崎浦」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載のない地名です。(小岬の神崎の記載は測量日記にあります)、また郷村記時津村にも記載のない地名です。(こちらも神崎の記載はあり)
地名の由来ですが弁財天のある神崎(小岬)に面した浦(入江)だったことが由来と考えられます。

こちらは明治34年陸測図より時津村浜田郷 神崎浦周辺(今昔マップ on the webより)、中央付近の神崎浦が仕切られ塩田地帯になっています。
今日は時津浜田郷にある神崎浦のおはなしでした。
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