
神崎浦の埋立でできた三菱の工場群より見た神崎、昔はもっと岬らしい地形でしたが左側も埋立で工場地帯になってています。現在も地形図に記載の地名です。

時津港近くより見た神崎、中央やや左側に弁財天の鳥居が小さく写っています。

神崎の由来にもなって現在も残る弁財天(辨財天)、郷村記時津村にも記載の弁財天で例祭八月七日、法妙寺勧請、寛文十年建立などの記載があり、鳥居横に説明看板も設置されています。
時津の西時津郷の小岬、神崎の地名について考えたいと思います。
小岬ですので伊能大図に記載はありませんが伊能忠敬測量日記には記載の地名です、また郷村記時津村には神崎にある辨財天の記述の他に弁財天より神崎浦側に五拾六間(約100m程)に神崎波戸があったことが記されています。
地名の由来ですが神は弁財天を指し、崎はもちろん岬のことで神の祀られた岬であることが由来と考えられます。
今日は西時津郷にある神崎のおはなしでした。
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