
写真の長崎バス佐底バス停(長崎向き)周辺が浜田になります。時津内には大きな浜田郷があるためこちらは知名度も低いのですが元はこちらが塩田の発祥の地で後にこちらから移転するような形で大規模に塩田開発が行われたのが浜田郷にある地域になります。元は郷村記時津村、鹽濱之事によると慶長十八年に筑前の姪浜より甚左衛門、藤右衛門、新左衛門、源次郎の四名で塩田を開いたようです。現在は塩釜大明神の小さな祠が佐底の塩田の歴史の面影として残っているようです。

明治の陸測図を見ると佐底の国道より海側(写真の左側)は浜になっており江戸期は塩田のあった地域になります。
時津佐底郷にある小字地名「浜田」の地名について考えたいと思います。
小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載のない地名です、郷村記時津村には前述の鹽濱之事の他、濱田川尻(現在の佐底川)の記述があります。
地名の由来ですが浜にあった塩田が地名の由来と考えられます。
今日は時津佐底郷にある浜田のおはなしでした。
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