現在は京泊公園内に島の面影を残す恵比須島、昭和40年代後半からの新長崎漁港開発に伴う埋立で周辺は市営アパートが並び海沿いだった当時の面影はありません。因みに恵比須島の面影残る京泊公園ですが長崎バス弁天バス停と京泊バス停の中間付近にあります。
三重京泊にあった小島、恵比須島の地名について考えたいと思います。
小島ですが伊能大図には亀甲嶋、測量日記には亀甲島は一周一町といった記述が見られます、また郷村記陌苅村には蛭子嶋、恵比須、神体海石、例祭十一月廿日石祠、境内小島松樹数株ありといった記述が見られます。
地名の由来ですが字の如く島に恵比須様が祀られていたことが由来です。伊能忠敬の記述を見れば別名亀甲島ですので島の形を亀の甲羅に見立てた島の名もあったと考えられます。
こちらは昭和二年発行の地形図より三重京泊周辺の地形図「今昔マップ on the web」より、埋立前の恵比須島が記載されています。
今日は埋立で消えた恵比須島のおはなしでした。
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