こちらの喜々津シーサイド北西端にある緑の一角が元端島です。現在は西部ガスや海の子公園の一角になっています。緑や標高が多少あることでなんとなく島の面影を残しています。長崎市高浜沖の端島と違い知名度は全くありませんが同じ島名の島が喜々津にありました。蛇足になりますが昔は木々津だったらしいです。
こちらは1970年長崎東北部より端島周辺の地形図(今昔マップ on the webより)より引用
まだ喜々津シーサイド埋立前で端島が残っています。
多良見化屋にある小島「端島」の地名について考えたいと思います。
伊能大図にも記載はありますが文字が読み取りづらく解読できません、また喜々津村は佐賀藩諫早領でしたので残念ながら郷村記にも記載はありません。
島名の由来ですが文字通り端っこにある島という位置的要因が島名の由来になったと考えられます。今も喜々津シーサイドの端にあるように化屋名の端っこの海に浮かぶ小島であったことが要因でしょう。
今日は喜々津(諫早市)にある端島のおはなしでした。
この記事へのコメント
あお
私は喜々津シーサイド育ちです。
たまたまこちらのサイトの別記事に辿り着いたところ、更新されたばかりの最新記事が故郷のことで驚きました。
こちらの端島、私が子供の頃は「ドロ山」と呼んでいました。
大島地区の丘の西北端斜面(シーサイド側)がコンクリートにより固められており、そちらを「ガケ山」と呼んでおりましたのでその対比として盛り土状の端島を「ドロ山」と呼んだものと思います。
今の子供たちも同じように呼んでいるのかは分かりませんが。
シーサイドが島を飲み込む形で造られたことはなんとなく聞き覚えがありましたが、それが「ドロ山」のことだとは思っておらず、今更ながら勉強になりました。
当時の子供たちの間では、シーサイドを造る際に余った土砂を盛ったのがドロ山だ、なんてまことしやかに言われていたような記憶があります(笑)
サルル
こんにちは
書き込みいただきありがとうございます。
どろ山といった呼び方をされていたんですね。
地元でしか分からない貴重なお話ありがとうございました。