梅干田(浦上淵村木鉢郷 梅干田)木鉢にあった気になる小字地名

小字地名を沢山眺めているとたまに気になる地名が出てきますが今日はそんな小字地名の中でも私にとっては指折りの地名のおはなしです。 写真は木鉢界隈を走る長崎バス、写真の木鉢浦対岸(西泊側)の白頭山(天門峯・しらと)山の山腹にあった小字地名です。 それにしても梅干の田とは不思議な地名です。ちなみに地名の田(た)には方向を意味するものや耕作地、多い意味での多の当て字なども考えられます…

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丈円(神ノ島村 丈円)佐賀藩兜崎御台場跡

今日は神ノ島2丁目にある小字地名のおはなしです。 写真は神ノ島2丁目、神ノ島教会手前に見える神ノ島愛児園さんの場所が兜島のあった場所です。そこより3丁目よりの海岸沿いの小字地名が丈円(じょうえん)になります。この地名を見たときは僧侶のような名にも見えますし仏教系に因んだ地名に思えました。 ちなみに丈円の最寄りバス停は長崎バスの恵の家前バス停になり、神ノ島3丁目行きバスが通って…

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木鉢浦(浦上淵村木鉢郷 木鉢浦)レザノフ滞在の木鉢浦

レザノフと言えば、日本的のらりくらり外交で長崎でシビレを切らしたロシア人との認識ですが、今日はそのレザノフの休憩所が設けられた木鉢浦のおはなしです。 写真は木鉢浦、長崎バスの走る内陸側周辺にロシアからの外交使節レザノフの休憩所が設けられたようです。ちな福岡藩御非番之節魯西亜船渡来ニ付長崎御番固之図にはその休憩所が絵図に描かれています。レザノフ自体はここで50日間ほど滞在しその後、梅…

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銅ノ下(神ノ島村 銅ノ下)長崎要塞「神ノ島低砲台」

長崎港の要にある神の島、江戸期は台場、明治期には長崎要塞の砲台が築かれた島ですが長崎要塞神ノ島低砲台のあった場所が今回紹介する銅ノ下になります。 写真は低砲台のあった銅ノ下から見た長崎バスと海、近年埋立のお陰で長崎バスが低砲台下にある海岸線(神の島3丁目)まで運行されています。市内から30分ほどですがここまで来るバスは少ないです。 ほぼ同じ場所より、対岸には造船所のあ…

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宮ノ上(神ノ島村 宮ノ上)長崎要塞 神ノ島高砲台

神の島1丁目にある池之神社、その上にあった明治34年完成の長崎要塞「神ノ島高砲台」がある地名についてのおはなしです。 写真は対岸から見た現在の神の島、中心付近が神の島1丁目になります。左端にはドンク島が見えます。1丁目の中腹にあるのが墓場で更に山頂部には現在神の島公園になっている長崎要塞「神ノ島高砲台」跡があり一部遺構も残っています。長崎市内から長崎バスで30分ほどの神の島1丁目ま…

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どんく島(神ノ島村 どんく島)現代の神ノ島

神の島教会の目の前に巨大なマリア像のある小島があります、今日はその小島のおはなしでし。 写真左下にあるのが「どんく島」で白いマリア像も小さく写っています。対岸の手前は蔭ノ尾島で奥が野母半島になります。 どんく島と長崎バス、長崎バスですと市内から神の島教会行きで下車すれば徒歩ですぐの場所に「どんく島」があります。以前よりここは本数が増えたので1時間に3本以上は走り便利で…

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道生田(浦上淵村木鉢郷 道生田) 元禄3年設置の火薬庫は難解地名

今回は江戸時代の木鉢に存在した難読地名です。道生田(土生田)との記録もある地名ですが小字にはなく、正直言って正確な読みが分かりません。どしょうだ、どしょうでんでしょうか? こちらは道生田塩硝蔵のあった道生田(現木鉢双葉園)附近より木鉢浦を俯瞰、手前の下にみえる住宅地は明治までは海でした。ここからの景色もなかなかで、遠くには香焼の三菱工場や神の島にあるドンク島や高鉾島が見えます。また…

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小瀬戸(浦上淵村 小瀬戸郷) 神の島埋め立ての歴史

のどに小骨が刺さったような気になることが私にはあります。 それは長崎市神の島がいつ頃埋め立てられたかということです。たぶん気になる方も地元ならいるのではないでしょうか? 今日は元浦上淵村小瀬戸の地名について 瀬戸といえば狭い門、海峡に使われる地名です。まさにこの小瀬戸に関しては神の島と対岸の長崎との小さな海峡から名づけられた地名と考えられます。 伊能大図にも浦上村淵 小瀬…

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カブトシマ(神ノ島村 兜島) 今は縁の下の力持ち?神ノ島にあったカブトシマ

トイレの時間は楽しい♪ もちろんお腹を壊してぶぶ~~の時は除きますが(笑) 我が家のトイレの壁には、座って左側に昭和30年代の北海道の鉄道路線図、右側には江戸時代(1802年)の長崎絵図が貼ってあります。 その効能や抜群であり私は最近、北海道だけでなく長崎の地名にも興味が湧いてきました(笑) さて今日は神の島のカブトシマの地名についてのお話です。 この地名を知ったのはもちろ…

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