赤水平(西浦上村川平郷 赤水平)川平地区浦上川右岸の小字地名

今日は川平にある小字地名のおはなしです。 写真は長崎バス恵の丘線にある赤水平バス停、浦上川右岸(写真右手)の小字地名で恐らく浦上川に流れ込む支流の傾斜地に名付けられた地名で現在も地形図に掲載の旧西山街道沿いの地名です。川平でもこの付近は長崎大水害で大きな被害があった地域でもあります。 川平にある小字地名「赤水平」の地名について考えたいと思います。 内陸の小字地名ですので伊能…

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力場平(西浦上村川平郷 力場平)旧西山街道沿いの坂道

今日は川平にある小字地名のおはなしです。 浦上川の左岸にある力場平(写真の右手)、現在も地形図に記載のある小字地名です、川沿いの傾斜地に坂道が続いています、旧西山街道沿いでこの後、三宝橋付近からくるまき峠を通り本川内、松ノ頭峠を越え伊木力の舟津へ向かう街道でした。 浦上川右岸側、力場平の対岸側には長崎バス力馬坂バス停、力場平に因んだ素敵な当て字のバス停名です(小字地名…

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井手口平(西浦上村川平郷 井手口平)旧西山街道沿いの小字地名

今日は川平町にある小字地名のおはなしです。 写真は長崎バス恵の丘線、三宝橋バス停付近を走る路線バス、浦上川右岸の旧西山街道沿いの傾斜地(平)が小字地名「井手口平」周辺になります。 写真の右手に見える橋が井手口橋、小字地名を辿る意味でも橋は重要なポイントのひとつです。 旧西山街道のくるまき峠への道、旧版図を見ると峠ヘ向け写真の右手の傾斜地は街道沿いに棚田が…

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大多尾(西浦上村木場郷 大多尾)三ツ山町飛田付近の小字地名

今日は三ツ山町にある小字地名のおはなしです。 写真は長崎バス恵の丘線、飛田バス停、この付近が大多尾付近になります。純心大学まで登り坂が続いています。昔の地形図を見ると今はでは見られませんが川沿いの水田地帯だったようです。おおたお自体は字がちがえど長崎市内にも太田尾や大田尾など他の地域にも比較的見られる地名です。 三ツ山町にある小字地名「大多尾」の地名について考えたいと思います…

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犬継(西浦上村木場郷 犬継)三ツ山町にある小字地名

今日は三ツ山町にある小字地名のおはなしです。 写真は長崎バス犬継バス停、近くに八幡神社や三ツ山カトリック教会があります、川平の奥にあり長崎でも傾斜地に田畠が見られ長閑な風景が広がる三ツ山地区です。 犬継地区を通る長崎バス恵の丘行き。恵の丘に純心大学があるお陰で路線バスは割合便利です。昔は行先幕に犬継の文字も見られましたが今はすべて恵の丘行きになっています。 三ツ…

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音石(西浦上村岩屋郷 音石)今は公園名として残る小字地名

今日は市内の岩屋郷にあった小字地名のおはなしです。 写真は国道より見た現在は岩屋町音石(おんじゃく)方向、今は傾斜地にぎっしり住宅が建ち並ぶ界隈です。今も岩屋音石公園として地名が残っていることはうれしい限りです。他にもあまり使われない小字地名ですがバス停名や公民館、橋梁名で密やかに残っていることがあります。 岩屋郷の小字地名「音石」の地名について考えたいと思います。 小字地…

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貝所(西浦上村西郷 貝所)西郷の会所跡か

今日は長崎市内西町にあった小字地名のおはなしです。 写真は小字地名「貝所」のあった西町小学校周辺、今も周辺は住宅地が広がり賑わう界隈です。江戸期は浦上西村と呼ばれた地域になります。 西町にあった小字地名「貝所」の地名について考えたいと思います。 内陸の小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載のない地名です、また長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載のない地名です。 地名の由来…

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物見岳(西浦上村岩屋郷 物見岳)岩屋郷の小字地名

今日は長崎市内岩屋郷にある小字地名のおはなしです。 写真の長崎バスの後ろに見える丘が物見岳付近になります。最寄りは長崎バス虹ヶ丘線の葉山と工業高校の間にあり、工業高校の正面(北側)にある丘になります。 岩屋郷の小字地名である物見岳の地名について考えたいと思います。 小字地名ですので伊能大図や測量日記に記載のない地名です。また長崎名勝図絵や長崎古今集覧にも記載はありませんが(…

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日当ノ尾(西浦上村家野郷 日当ノ尾)女の都の入口にある小字地名

今日は長崎市内と長与町との境界付近にある小字地名のおはなしです。 写真は日当野尾バス停、県営バスと長崎バスの女の都方面行きが走っています。日当ノ尾の地名は長崎市内ですが、バス停は境界付近でもあり長与町高田郷にあります。特に何かある場所でもないですので住民以外は利用しないバス停かもしれません。また小字地名とバス停名ではノと野の当て字の違いが見られます。長崎では稀に当て字の違いは見られ…

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家野(よの)(西浦上村 家野郷)三菱船形型試験場付近の郷名

今日は西浦上側にある家野(よの)の地名についておはなしです。 家野郷といえば、お隣には以前も取り上げやれた浦上山里村側にも家野郷がありました。いつ分村したか年代は不明ですが江戸期には大村藩領の浦上家野村と天領(幕府領)の浦上山里村家野郷へと別れています。 この西浦上村家野郷側には現在も現役で最大規模の被爆遺構、三菱船型試験場があります。長崎の被爆遺構としていつまでも残…

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