山浦(西浦上村東北郷 山浦)長崎外語短大にあった山浦堤

読書の秋♪ 今年は被爆直前の長崎という素晴らしい本が出版されました。
個人的には生まれ育った場所の小字をしることができとても嬉しかったです。

それまでは西浦上村東北郷までしかわかりませんでした(苦笑)

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写真は現在の泉町(西浦上村東北郷字山浦)手前(中央から左より)高層マンション2棟に位置に山浦堤がありました。

中でも一番気になったのは長崎市泉町に山浦堤が存在したことです。
当時は住吉付近にも田んぼが見られるのでその貯水機能もあったのかもしれません。
私が育ったころはもう外語短大になっていたのでまさかあの場所がと思いましたが、地形的にたしかにまわりから多少くぼんでいて外周道路から眺めると堤があったのが納得できる地形ではあります。

残念ながら堤が作られた時代は分かりませんが戦後埋め立てられそこに外語短大ができ、外語短大が撤退後はご立派なマンションが数棟建てられています。

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上記写真は昭和20年代初頭に撮影された長崎市住吉地区、まだ山浦堤(写真文字左)が残されています。
写真①は西浦上支所で国道と昭和町通りの交差する場所にあります。まだ路面電車もなく国道側も狭いのが分かります。
写真②は三菱兵器住吉寮があった場所ですがすでに空き地になっています。
写真③は師範学校や西浦上国民学校があった場所です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。

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上記写真は昭和40年代初頭に撮影された長崎市住吉地区、山浦堤がなくなり外短(写真文字左)ができ、堤の大部分は校庭になっています
写真①は西浦上支所です。路面電車も赤迫まで延伸(S35)されたため赤迫付近まで国道が拡張されているのが分かります、また住宅も急増しているのが分かります。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。

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上記写真は平成20年代初頭に撮影された長崎市住吉地区、①の左が山浦堤跡、外語短大が移転しマンションに変わっています。また浦上水源地近く(住吉側)が宅地開発され住吉の杜ができています。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。


空中写真を見ると西浦上村の発展がわかりますが今後は人口減も続いているのでどう変遷するか興味深くもありますがコンパクトシティを形成する段階になっても路面電車が通るこの地区は便利でもあるのであまり変化が少ない地域かもしれません。

さて山浦の地名について考えます。個人的には山裏にある地域から名付けられたような気がします。
また山手にあった堤の対岸を浦に見立てて名付けた可能性もありそうです。
また堤もあるし、西浦上村の浦にちなんだ可能性もありそうです。

今日は西浦上村山浦のお話でした。

普通だとくんちなのに。。。。
鯨の潮吹きをみようと思っていた私はなんか。。。
寂しい秋です(笑)

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