藤ノ尾(西浦上村木場郷 藤ノ尾) 永井隆先生ゆかりの第11医療隊救護所

朝ドラエールの影響で私もまた永井先生の本の読みなおしを開始しました。
まずはなんとなく手に取ったのが如己堂随筆でした。読んでいると木場郷藤ノ尾の地名が。。。気になります。場所が三つ山のどのあたりか分からないからです。

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写真は川平六枚板バス停付近の浦上川を渡る長崎バス、この辺りまでくると浦上川も綺麗です。こちらか一つ手前の三宝橋バス停が今日の地名、西浦上村木場郷藤ノ尾最寄りバス停になります。伊能忠敬の測量日記はおろか以前あった川平の小字や三ツ山町の小字にも記載がない地名でした。さてこの木場村藤ノ尾には、原爆投下後は医大付属病院で救護活動をされた永井先生が8月12日より10月8日までの約2か月間、被爆者の救護活動にあたったようです。現在はゆかりの場所に第11医療隊記念碑があるようです。

恥ずかしながら場所も最初は分かりませんでしたが、ネットやグーグルマップのお陰で場所が分かりました。バス停で言えば、新地から恵の丘行きに乗って三宝橋バス停でおり、次の小さな井手口橋のたもとに第11医療隊記念碑入口の看板が出ています。ちょうど三宝橋と川平六枚板入口バス停の中間ほどの場所で井出口橋を渡りちょっと上った場所です。

さて藤ノ尾の地名ですが「とう」の部分は恐らく峠を意味したものと思われます。よって峠の尾の部分、峠の末端(山裾)の地形が由来の地名と思われます。その峠部分を藤と当て字した地名でしょう。千々と川原の中間にある藤田尾(とうだお)なども同じ系統の地名と思われます。
最寄りバス停の三宝橋ですが道が分岐する場所で、三方へ分岐する橋であることから三方橋に当て字する形で三宝橋となったと考えられます。この場所、市内に行く方向と犬継方向そして長与方向と三方に道があります。

その長与方向ですが小さな峠になっており以前は細い道でしたが現在は改善されています。その小さな峠を長崎大水害前までは長崎バスが三宝橋経由本川内行きが片手に余るほど走っていたようです。水害後路線は廃止されていましたが、近年何と矢上~畦別当~恵の丘~長与駅~商業とスクールダイヤではありますが畦別当線として復活しています♪日本男児ならロマンを感じずにはいられない路線です(大笑)

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上記写真は2010年に撮影された西浦上村木場郷藤ノ尾附近の空中写真です。、「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。画像左方向が長崎市内方面、上が長与方面、右が犬継、恵の丘方向になります。①付近が永井先生所縁の第11医療隊救護所附近、②は長崎バス川平六枚板入口バス停になります。三宝橋文字下付近に長崎バスのバス停があります。三宝橋より上方に向かう道が長与方向へ向かう峠道です。

そんな峠の末端部分にある藤ノ尾はまさにぴったりの地名でもあります。永井先生ゆかりの場所でもあるのでそのうち訪ねたいと思います。三宝橋といえば小学校の頃、川の近くで沢山のつくしを採って家で食べてあんまし美味しくなかった美しい思い出があります(笑)
今日は西浦上村木場郷藤ノ尾のお話でした。

それにしてもエールの放送がなければ第11医療隊救護所記念碑など恐らく知らずに終わる人生だったかもしれません、長崎って本当に歴史がたくさん詰まった場所だと改めて感じております。

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