新田頭(矢上村平間名 新田頭) 東長崎の難読地名

西浦上で生まれ育った私が長崎市内で一番土地勘のない地域が東長崎地区です。恥ずかしながら戸石や牧島などへは未だに行ったことすらありません。長崎バスが矢上地区に進出しなければ今でも全く不案内な可能性が高かったと思います。今回は幸運にも長崎バスが進出し(県営バス撤退のため)、終点であったことから知った平間町内にある新田頭(にたんとう)を紹介します。

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写真は、長崎バスの終点の新田頭、市内からですと1日3本ほど運行されています。新田頭手前には滝野観音、新田頭を少し歩いて登れば長崎バイパスが通っており、山間地域とはいえ多少の喧騒があります。はじめて新田頭行きのバスをみたときは「しんでんがしら」とは珍しき地名だと思いましたが本当の地名が「にたんとう」であることを知り随分変わった地名だと多少驚きました。

長崎バスが走るようになり、路線図を眺め、新田頭の場所が長崎バスが以前路線廃止したバイパス経由の八峰口線の東長崎トンネル上にあった八峰口バス停から歩いてすぐの集落にあることにちょっと感動しました。西浦上小学校在学時ですが高学年の頃はよく、廊下からバイパスから出てくる常盤町営業所の2302号の本社前行きを見つめていたことを思い出します♪

バスを使って初めて新田頭へ足を運びましたがなかなか雰囲気のある終点でした、バスも少ないのでなんとなく鶴の尾団地の下まで歩きましたが、あとで地図を見たら長崎本線の肥前古賀駅も近くだったようです。今でもやはりこの地域は不案内のままです(汗)

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逆方向から見た長崎バスの終点新田頭、平間名にある小字のため伊能大図にはもちろん記載はなく、測量日記にも長崎街道から外れているため出てくる地名ではありませんが地形図には明治時代から現在まで新田頭の記載はあります(但し、ある時期だけなぜか仁田頭)

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こちらは明治35年発行の陸測図「今昔マップ on the web」より、明治の地形図ですので右読みです、写真中央部の矢上村の矢の部分の斜め上に新田頭があります。集落下部は棚田が広がっています。現在は棚田の他に果樹畑が目立ちます。

さて新田頭の地名の由来について考えたいと思います。もともと山の斜面に細い川があるので棚田を作る場所としては労力の問題はさておき問題はなさそうです。また新田頭の新田(にたん)部分ですが意味的には恐らく昔の単位である2反からきたものと思われます。1反は石高にすれば1石で10アールほどの広さになるようです。この地区の田んぼの広さが恐らくは2反ほどだったのではないでしょうか、また新田頭の頭(とう)部分は峠からきたものと考えられます。今もこちらから畦別当や三ツ山を通り市内や長与へ行く道が通じています。

恐らく新田頭は、田んぼの広さが2反ある峠から「にたんとう」と呼ばれ、当て字として現在の新田頭が使われたものと思われます。今日は矢上村平間名にある新田頭のおはなしでした。

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