子々川(村松村 子々川郷) 1日2本の新設秘境路線バス

コロナ渦で苦境に真っただ中の長崎バスですが、それでも近年過疎地域にも新路線が開設されているのは全国的にも珍しく今後の動向が気になります。その路線バスの終点が今回紹介する子々川(ししがわ)です。

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子々川を通る長崎バス、ちなみに数年前に新設された際には中山ダム行きでしたが最近路線が延長され、子々川が終点となりました。中山ダム経由の子々川行きは現在2往復、今後中山ダム経由で琴海ニュータウンまで延長などにより子々川行き自体が無くなる可能性もありそうです。ちなみに子々川を通る国道経由のバスは琴海方面、時津方面へ1時間に3本ほど運行されています。中山ダム経由は1日2本ですので気になりますが私はまだ乗ったことがない路線です。

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長崎バス子々川バス停、一度見たら気になる地名です。ここがわ、ねねがわでもいい響きの地名だったことでしょう♪

子々川の地名ですが伊能大図には西海村鹿川、測量日記にも子々川の記載がありますが地名の文字が違っています。ちなみに子々川は古くから見られる地名で南北用時代の深堀文書に深堀氏が鹿皮村で狼藉を働いた記述がみられます。ちなみに子々川郷内には松尾城が郷内にありますが詳細は不明の城です。

さて子々川の地名の由来について考えたいと思います。子々(しし)の部分ですが古文書に鹿の字が当てられていますので元々、野生の鹿が多い地域だった可能性も高いですが猪の可能性も地域的になことを考慮すれば高いかもしれません。猪川(ししがわ)や獅子川の当て字でもいいと思いますが子々の当て字がされたのは不思議ですが当て字された方の個人的趣向からかもしれません。

深堀文書の鹿皮から考えれば、川部分は野生動物が多い地域で食用の肉だけでなく皮も衣類などに使うためよく干されていた場所だった可能性もありそうです。また猪などの野生動物が多い川だったので河川名として子々川となった可能性もあります。地域名として先に子々川となりのちに流れる川に子々川と名付けられたか、河川名に先に子々川がありその地域が後に子々川と呼ばれるようになったのかは分かりませんが、いずれにせよ猪などの野生動物の多い地域であったことが地名の由来になったことは間違いないようです。

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上記写真は2010年に撮影された村松村子々川郷(時津町子々川郷附近)の空中写真です。「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より引用。〇の位置が国道沿いの長崎バス子々川バス停付近となります。ちなみに中央下部付近より大村湾に流入する河川が子々川になります。ちなみに中山ダムは子々川の上流部にありますので、中山ダム経由のバスは写真中央下部方向を走ります。

今日は旧村松村にあった子々川のおはなしでした。


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